忘れるべき記憶
まず最初に緑の玉を一番左に移動させてその後青い玉を真ん中に移動させる・・・・と考えているときはどの位置に何色の玉があるのかを覚えている。
ですが、数分後にその玉の位置を覚えているかというと忘れてしまっているのではないでしょうか。これは忘れて良い記憶です。これを作業記憶といいます。
質問です。
今日の朝、電車の何両目のどこに乗りましたか?立っていましたか?座っていましたか?
では1週間前はどうですか?
今朝乗った車両を忘れてしまうと、例えば忘れ物をした際に問い合わせることができず困ります。ですが、1週間も前のことで特に特別でもないような出来事は忘れてしまってもほとんど不便なことはないと思います。逆に全ての事柄を覚えていると頭が混乱してしまうのではないでしょうか。これも忘れても大丈夫な記憶です。
Morris Water Maze(モリス水迷路実験)
ネズミの性質を利用した認知行動課題の例
プールには粉ミルクが入れてありうっすら濁っています。プールの中に踏み台(プラットフォーム)があります。マウスは泳ぐことがあまり好きではないので一旦プラットフォームを見つけるとそこで休みます。
このようにプラットフォームの場所を覚えさせる空間記憶をするテストです。
次にプラットフォームが無い状態でマウスをプールの中に入れ、マウスがこの位置を記憶しているかどうかをテスト( Prove Test )します。
そうするとプラットフォームの場所を覚えているマウスはプラットフォームがあった辺りの場所をぐるぐる泳いで回ります。この割合は80%弱でした。
マウスでこのような空間記憶の実験をすると、ほぼ自動的に長期記憶となります。1日後に Prove Test をしても1週間後にテストをしてもマウスはプラットフォームの位置は忘れません。
では、これは忘れない記憶なのでしょうか。
実験用マウスは普段小さな飼育ケージで生活をしています。大きなプールに入れられることは彼らにとってはかなり衝撃的な大きな出来事です。だから忘れないということもあります。
ですがこの空間記憶を忘れやすい記憶、忘れても大丈夫な記憶に変えることもできます。
One-trial place learning課題
その方法は、毎日プラットフォームの位置を変えて同様の実験をします。1日に何度かテストをしますが、次の日はプラットフォームの位置を変えます。
このように毎日毎日どんどん変えていくと、さきほどの電車の記憶と近い状態になります。
数日前の情報は覚えている必要がない、むしろ邪魔なのではないでしょうか。
そしてマウスは「これはずっと覚えておく必要がある記憶ではない」と判断し、15秒後は覚えていますが次の日には忘れている。という記憶をつくりだすことができます。
One-trial place learning課題 を行うとマウスは一旦プラットフォームの位置を覚えますがすぐに忘れるようになります。
忘れるべき空間記憶と海馬
このようなマウス実験(One-trial place learning課題)のときに脳がどのように働いているのでしょうか。
忘れるべき記憶、忘れた方が便利な記憶が脳のどこで行われているのかの研究があります。
まず海馬のどの部分が忘れるべき記憶、忘れた方が便利な記憶に関わっているのかを調べるためにマウスの海馬の一部に神経毒を注射し、破壊する実験が行われました。(Courtesy of Dr. Tobias Bast)
この海馬の破壊する位置によってその記憶の状態が変わってきます。図の黒い部分が神経毒によって破壊された部分です。
▶海馬の上下部分の破壊
このように真ん中を残して海馬の【上と下】の部分を破壊するとOne-trial place learning課題をおこなうことは可能でした。ですがその破壊の部分の幅が広くなる(真ん中部分へ浸食する)とできなくなるという結果が得られました。
▶海馬の中央部分の破壊
このように海馬の中間部を破壊すると、One-trial place learning課題をおこなうことができなくなります。つまりその日だけ留めておくような空間記憶、忘れるべき空間記憶の形成ができなくなるということです。
ですが、海馬のどの部分を破壊しても何度も何度も同じ場所の水迷路課題を行うと覚えることができる。長期記憶の形成はできるということがわかりました。
海馬と連絡する脳領域
- 海馬は、前方(嘴側)と後方(尾側)とでは、連絡している脳領域が異なる。
- recent memoryの形成のためには、嗅内皮質と前頭前皮質の両方(視空間情報と判
断・実行機能)が必要。
海馬の上部(前部)は嗅内皮質とつながっていて、目で見ている空間の情報をあつかっていると考えられています。海馬の下部(後部)は前頭前皮質とつながっています。
そして海馬の中間部は両方と連絡しています。
したがってこの「両方とやり取りをしている」ということが忘れるべき空間記憶の形成に必要だということがわかってきています。
まとめ
私たちは日常生活を送るうえでたくさんの経験をしたり、たくさんの物事に触れたり新たに覚えたりを繰り返しています。ですが、それら全てを完璧に記憶しているというわけではなく必要な部分を記憶として残しています。つまり忘れても良い、忘れるべき記憶も取捨選択しているということです。
この忘れるべき記憶には海馬の中央部が深く関わっていますが、海馬のどの部分が破壊されても学習次第では長期記憶の形成が可能であるということがわかっています。
脳梗塞を患った方の多くが誤った動作を覚えてしまい、それが定着することで正しい運動ができなくなっている方が多くいます。
正しい動作の学習・動作記憶の定着を適切におこなうことによって、発症から年数が経過しても動きの改善はできると思われます。
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