日本は貧富の差や加入している保険制度に関係なく誰でも高度な医療を受けられます。これは日本が世界に誇る皆保険制度を導入しているからです。日本の医療費は年々増大し、そしてそれは社会保障費全体の大きな割合を占めています。日本は世界の中でも社会保障が充実した国とだといわれています。ですが現在この社会保障の持続が危ぶまれています。
福祉国家として社会保障制度を持続していくためにはどうすれば良いのか。少しながくなりましたので3回に分けて医療制度の抱える問題について述べていきたいと思います。今回は医療制度の課題として医療費全体と高齢者医療について説明します。
医療費全体の推移
現在ちまたで医療費の問題として取りざたされていることは人口の高齢化が進んでいって高齢者の医療費がどんどん増えているということです。
図1 国民医療費,対国内総生産・対国民所得比率の年次推移
詳しい内容はこちらの厚生労働省資料からどうぞ。
上のグラフは日本の医療費全体がどのように変化しているのかを示したものです。
青い棒は医療費の金額を表しています。一見してわかるように右肩上がりに増えています。
このグラフは平成30年度が一番新しいデータとなっています。ここでは一番新しい平成30年度が一番高くなっていますが、その2年前の平成28年の値をご覧ください。この年の医療費は前年度よりも下がっているという珍しい現象がおきています。
なぜこのような現象が起きたのでしょうか。平成28年の1つ前の年をご覧ください。前年の平成27年度はその前年に比べて医療費が急激に増大しています。そして翌年の平成28年に下がったということです。
これはどういうことかというと【日本の薬はなぜ高いのか 社会保障を圧迫する医療費の動向】で説明したようにC型肝炎の新しい薬ができてそれが大量に使用され医療費が増大した。そしてその調整が翌年にされた、ということです。このように1つの新薬の開発でも医療費は大きく増減していることがわかります。
【医療費の動向に関してはこちらをご参照ください。】
ではこの医療費はなぜ右肩上がりに増えるのでしょうか。
一般的には高齢化がすすむということがあります。高齢者は病気になりやすく治りにくい。したがって高齢者が増えれば医療費が増えるという説明が一般的にはされています。
ですがこれは必ずしも正しくはないという話を【日本の薬はなぜ高いのか 社会保障を圧迫する医療費の動向】で説明しました。
高齢者の医療費が高いことは事実です。ですが医療費全体を大きく押し上げているのは医療の高度化(高価な新しい薬ができるなど)やあるいは高度で高価な検査機器や医療機器の導入、また医療工学の分野で人工臓器などの開発費用などが医療費全体を年々増加させる要因となっています。
ただ高齢者が若い人よりも多く医療費をつかうということに関しては間違いではありません。病気になりやすく治りにくい、しかも制度的に高齢者については自己負担少なく済むようになっています。そのために医者に行きやすいという状況がつくられています。
その結果頻回に通院し医療費を多くつかうという流れになっています。
このこと自体は間違いではありません。ただそれが大きく医療費を増大させている最大の要因になっているかというと必ずしもそうはいえないということです。
医療費全体の内訳
では各制度ごとでみると医療費はどのような割合になっているのでしょうか。
上の図は国民医療費の制度ごとの内訳になります。左側の年齢階級別で見るとやはり人口では4分の1くらいの構成割合である65歳以上のひとが医療費としては6割程度をつかっています。そして制度的には75歳以上が加入している後期高齢者医療制度と退職者などが加入していて比較的高齢化がすすんでいる国民健康保険、この2つの制度が医療費の大半を占めていることがわかります。
医療費の負担と給付
上のグラフは厚生労働省がつくっているものですが最近はこのようなデータを出していないため古いデータとなっています。どれくらい保険料を支払ってどれくらい医療費をつかっているのかという傾向的には大きな違いはないためこのデータを使用して説明します。
このグラフをみるとやはり若いひとは水色の棒グラフのように払う方が大きいです。そして高齢者は黄色い棒グラフのように使う方が大きくなっていることがわかります。
このように高齢者は少ししか払っていないけれどもたくさんの医療費を使っているということがわかります。それは何度も言いますが高齢者は病気になりやすく治りにくいため医者に多くかかる。さらに若者よりも負担が軽く抑えられているため病院に行きやすいということです。
高齢者の医療費が高いということはわかりますが、なぜそのぶんが若い人の負担になっているのでしょうか。
本来医療保険制度というのは保険集団ごとに分立していて収支・財政は保険集団ごとに別々におこなわれているはずです。そういうことであれば若い人が多く高齢者が少ない保険制度(保険集団)は支出が少ないため負担もそれに見合った少ない負担で済むはずです。
したがって高齢者が増えるからといって若い人の負担が増えるとは単純にはならないはずです。ところがそうならないように制度がつくられています。つまり若い人が高齢者の医療を負担するように制度がつくられているということです。
健康保険制度のなりたち
この年齢による保険料と医療費の不均衡のもともとの原因は日本が国民皆保険であるというところにあります。
まず健康保険法という法律がつくられ、職場単位で保険集団がつくられました。この健康保険法しかなかった時代は職場で働いているひと以外の自営業の人たちには保険はありませんでした。
これでは自営業や農業・漁業のひとは病気になっても医者にかかることができません。そこでこのような人たちのために保険制度つくろうということでつくられたのが国民健康保険です。これはそれまでにあった職域の健康保険に入れない人たちを集めてつくられました。
つまり会社などで働いている人は職域にそうでないひとは地域にという二元的なかたちで皆保険ができがっているということです。
高齢者医療費を社会全体で負担する理由
このようなかたちだと高齢者はどうなるのでしょうか。
働いている人は一定の年齢になると働けなくなります。働けなくなると職域の健康保険に引き続き加入していることができません。なのでその他の人たちが加入している国民健康保険に加入することになります。
したがって国民健康保険には高齢者が集まってくることになります。
保険制度がそれぞれに独立して財政を賄うという仕組みだと国民健康保険のなかに高齢者がたくさんいると財政が圧迫される状態になります。
高齢者は医療費の負担と給付で説明したように医療費をたくさん使うので国民健康保険制度のなかの支出が増えるということになります。そして支出が増えると保険料を高く徴収するということが必要になってきます。
もちろん国民健康保険の加入者の中には若い人もいますが、その若い人のところに負担が多くなるということになってしまいます。
職域のほうは若い人が多いため保険料負担が少なくて済む、ですが国民健康保険に加入している若者に対しては高額の保険料が請求される。これでは保険料をとてもじゃないが支払えないという話になってしまいます。なのでそうならないようにするために高齢者の医療費を高齢者が属している保険集団のなかでまかなうという仕組みを変える必要がありました。
このような観点から高齢者の医療費は高齢者が属している保険集団の中だけでまかなうのではなく、みんなで負担するということで制定されたのが老人医療制度です。
高齢者医療制度
老人保健制度は昭和58年につくられた制度です。当初は70歳以上の高齢者を対象としていましたがその後75歳以上の高齢者が対象となります。そしてその後2007年度に後期高齢者医療制度ができました。そのため老人保健制度は廃止となっています。上の表はこの後期高齢者医療制度ができたときにつくられたものなので現行というのが老人保健制度で改正後が後期高齢者医療制度となっています。
老人保健制度
高齢者医療費を社会全体で負担する理由で説明したように高齢者の医療費を高齢者が属している保険制度だけで負担しようとすると偏りが大きくなります。そして特定の制度の負担ばかりが大きくなるという事態が起きてしまいます。これをなんとか均等にしようということで最初につくられたのが老人保健制度となります。
まずなぜ高齢者の医療費を高齢者が属している保険制度でまかなわなければならないのでしょうか。
そもそも保険というのは人数が集まってリスクの発生に備えてみんなで分かち合いましょうという制度です。それは集まった人(保険集団)たちの中でリスクを分散するので保険集団ごとに財政は独立しているというのは保険一般論の原則です。この一般論の原則をそのまま医療保険に適用すると国民健康保険に高齢者がたくさんいてもそれは国民健康保険の中で収支をまかなうべきということになります。しかしその原則はどこかで修正しないととてもやっていけないということになり、その集まった人たちの中でリスクを分散しようという原則を修正することになります。この修正をしたのが老人保健制度になります。
どのように修正したのかというとまず高齢者の医療については老人保健制度という別な制度から医療費を給付するという仕組みをつくりました。
当然医療費を給付するという仕組みなのでそれだけでは成り立ちません。給付のためのお金をどこかから調達しなければなりません。医療費を給付するという仕組みをつくっただけで高齢者は制度的にはそれまでの加入していた制度にそのまま加入し続けます。したがって各保険集団がそれぞれの制度に加入している高齢者の医療費を負担するというかたちにしました。
このように費用を負担するためのお金なのでそれを拠出金という言い方をしています。
この拠出金をどのようにして支払うのでしょうか。本来であればその制度に属している高齢者の数に応じて拠出金を支払うことになります。ですがそれでは結局元と同じ仕組みとなってしまいます。なのでそうではなくその制度に属している人全員の数で割ってその数に応じて拠出金を支払うという仕組みをつくりました。これが老人保健制度の基本になるところです。
どういうことかというと保険料に含まれる拠出金は自分たちが属している高齢者のために負担するものだということです。ですがその制度が負担する金額については高齢者の数に応じてではなく加入者全員の数に応じて払うという仕組みにしました。つまり全ての制度に同じくらいの割合で高齢者がいると仮定して拠出金の金額を決めるというかたちになりました。
実質的には高齢者が多く加入している国民健康保険の負担を軽減するための仕組みですが、形式的には自分たちの制度に属している高齢者のためにみんなで支払っているというかたちにしました。これによって原則を完全にゆがめることなく負担はみんなでしましょうという仕組みとなりました。
ところがこの制度はどんどん評判が悪くなっていきます。
なぜかというと高齢者が増えていくことによってこの拠出金がその金額が増えていったからです。拠出金は若い人も含めて人数割りになっているので若い人が多く高齢者が少ないような制度であっても拠出金は多く支払わなければならないということになっています。
そして拠出金が増えれば各保険制度の支出が増えていくため、保険料を値上げしなければならなくなりました。
この保険料は制度のなかでの費用はいくらなのか、高齢者のための拠出金がいくらなのかがよくわからない仕組みになっていました。そして当然ですが自分たちが支払っている保険料がいったいどこへいっているのかという批判の声が多く上がるようになってきました。
この批判の声によって老人保健制度は抜本的に変えないともたないという流れになっていきました。
そして後期高齢者医療制度へと変わったというわけです。
後期高齢者医療制度
ではなぜ後期高齢者医療制度なら良いのでしょうか。
後期高齢者医療制度では自分たちの中に属している高齢者のためにお金を出すという考え方を大きく転換させました。
後期高齢者医療制度という別な制度をつくって後期高齢者(75歳以上)はそれまで加入していた医療制度から出て新しい制度に加入するという仕組みをつくりました。つまりこれまでとは別建ての制度を新しく作ったということです。そしてその別建ての制度にみんなで援助するという拠出金ではなく支援金だということをはっきりとさせました。どのみち高齢者のために支援するのならば明確に「仕送り」だということを示したわけです。これによって支払う保険料のうちこれが自分たちのぶん、こっちが仕送りの分と明確にし、同意が得られやすいかたちへと変更しました。このように「仕送り」というかたちにして同意を得るためには「仕送る側」と「仕送られる側」というように分離させなければなりません。このようにして明確に分離させた後期高齢者医療制度という制度を新たにつくり、別な制度に入る人たちとして分けたというわけです。
これはもはや医療保険の原則である自分たちの制度は自分たちだけで財政をまかなうという仕組みはすっぱりと捨てたというわけです。
老人保健制度はなんとなく医療保険の原則を守っているようで実質は違いました。ですが、後期高齢者医療制度は原則を捨てて、別制度にお金を払うということを明確にしました。
やはりこれは医療保険としておかしいのではないかという感覚が国民一般にあり、この後期高齢者医療制度ができた時には「ただ高齢者を追い出しただけではないか」という批判の声もあがりました。
また別の制度に移った高齢者以外の高齢者である60歳~74歳までの人たちは国民健康保険に加入しているわけです。75歳以上の人たちを別の制度に加入させても残りの高齢者の医療費負担分によって国民健康保険は救われないという問題が残りました。
このため国民健康保険の大きな負担を軽減させるために制度間財政調整という医療保険の原則をやめるということをもっと明らかに見えるかたちにしました。
制度間財政調整
医療保険の原則は将来おとずれるかもしれないリスクに対して制度に加入している人たち全員で備えるというものです。ところがこの原則をやめて各保険制度に同じくらい前期高齢者がいると仮定して全員で負担しましょうというかたちに変えてしまいました。実質それは各保険制度からお金を集めて国民健康保険の負担を軽減するという仕組みです。これを一般的に制度間財政調整といいます。
このように前期高齢者に対しては財政調整という仕組みを導入しました。
後期高齢者医療制度の導入と制度間財政調整の2つの仕組みによって支出面での国民健康保険の問題を解決しようとしました。
後期高齢者医療制度が導入されたときに、なぜ新たに制度を複雑にするのかという疑問の声が大きく上がりました。ですが実はそれと同時に制度間調整というおかしな仕組みの導入が前期高齢者のためにおこなわれていました。
なぜわざわざ前期と後期で違うことをしなければならないのかが問題となりましたが、それに対してはよくわからない説明しかされていないまま現在に至っています。
高齢者医療制度の制度改革
このような改革をおこなったのが小泉構造改革の時代です。その後民主党政権へと政権交代しました。民主党はマニュフェストで「後期高齢者医療制度」は廃止するという公約を打ち出していました。ですが現実には廃止できずに今日まで制度は残っています。
なぜかというと他のやり方が見つからなかったからです。
元に戻せば何にお金が使われているのかわからない老人保健制度となり国民の納得が得られない。ではこの老人保健制度も廃止するということになると国民健康保険の負担だけが増大するということになり国民健康保険が存続できなくなる。ではどうすれば良いのかというと、どうして良いのかわからないまま結局後期高齢者医療制度は存続したまま自民党政権へと戻りました。
そしていつの間にかこの後期高齢者医療制度に対する意見もなくなり、現在はある意味定着した制度となっています。
まとめ
このように高齢者はたくさん医療費をつかう。そして高齢者が多く加入している制度では財政的に負担ができなくなってしまう、という問題を解決する他の方法というのが政策的に見つからないという中で後期高齢者医療制度ができて今日までに至ります。
ただこれで国民健康保険の財政の問題を含めた医療費の問題が解決されたのかというと、そう簡単にはいかないのが問題の深いところです。
支出面では高齢者の医療費をみんなで負担するという制度が定着したというべきかはわかりませんが現在進行形でおこなわれています。
ですが国民健康保険はもうひとつ大きな問題を抱えています。
それは収入面の問題です。
国民健康保険というのは収入がはっきりしない、あるいは収入が少ない人たちの集まりになっています。そのために必要な保険料収入が入ってこないという問題があります。これが近年の国民健康保険の財政責任を市町村から都道府県に移そうという動きにつながってきます。
国保の再建については医療保険制度の課題2をご参照ください。
参考資料
社会保障を問い直す/中央法規出版/2003.4.1/植村尚史著
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