現在まで日本における高齢者の医療の負担は大きな問題となってきました。そのため制度を変えたり新しい制度をつくったり…など、なんでこんなことになっているのかというほど日本の高齢者医療は複雑です。
高齢者と一言でいっても現在の日本では75歳以上と60~74歳までは別の医療保険制度に加入しています。日本の高齢者医療制度はなぜこのように複雑なものとなっているのでしょうか。日本の高齢者医療制度についてその歴史的な背景や医療制度の変移をふくめてわかりやすく説明していきます。
高齢者医療制度の概要についてはこちらをご参照ください。
高齢者医療のながれ
60~74歳までの高齢者と75歳以上の高齢者とでは加入している医療保険の制度がちがいます。なぜ違う制度になるのかというと単に年齢でわけているというだけではなく、実態的に制度上働き方によって分けられています。
サラリーマンで会社の保険制度に加入していた場合定年で60歳くらいになるとその保険制度から抜けなければなりません。そして別の制度に加入する必要があります。この別の制度として存在しているのがサラリーマンと被扶養者以外が加入する国民健康保険になります。
したがってサラリーマンを辞めると国民健康保険に入るということになります。
年齢が高くなると病気になりやすく治りにくいのでおのずと医療費が高くなります。なので年齢が高い人がたくさん加入している国民健康保険は負担が大きくなります。
一方医療費の面からみても医療機関に多くかかることで医療費の自己負担が大きくなっていきます。高齢者ほど医療負担が大きくなるということです。
この両者を解決するためにいろいろな制度がつくられ変わってきました。
老人医療無料化により病院がサロン状態に
昭和 48 年は福祉元年とよばれ、当時の田中角栄首相のもと老人医療無料化という施策がとられました。
これは高齢者が自己負担が大変だというところに着目してつくられた制度です。
当時は被用者保険の加入者(サラリーマン等)は自己負担が0でした。ところが退職して国民健康保険に加入するといきなり自己負担が3割になります。これは負担が大きくなり大変だということでこの3割の自己負担分を公費で、つまり税財源でカバーするという制度をつくりました。
これが「老人医療無料化」こと老人医療支給制度です。
これは本人の自己負担分を税金でカバーしてくれるというだけで、医療保険の給付の方には影響はないということでつくられた制度でした。ところが自己負担がなくなったことで高齢者は多少のことでも医者に行きやすくなり、昼間の病院は高齢者が集うサロンのような状態となっていました。笑い話で病院での高齢者同士の会話で「具合が悪いから明日は病院に来られないかもしれないな」などという冗談か事実かわからないような話もありました。
そしてこの制度により医療機関側も高齢者に対しては高額な医療を簡単に提供できるようになりました。
このためこの年から高齢者の医療費全体が大きく跳ね上がりました。跳ね上がった結果結局保険制度で支払う金額も大きく増加しました。
高齢者の多くは国民健康保険に加入しています。したがってこの制度制定によって国民健康保険の医療費が大幅に増えました。このため国民健康保険の保険料を値上げしなければならなくなりました。しかし年金で生活している高齢者が多いためそこから高額な保険料を徴収することはできない。では自営業やフリーター、無職の人の負担を大きくすれば良いかというとそういうわけにもいかない。では税負担で保険料をもまかなえるかというと、もともと制度負担分の5割程度を税財源でまかなっていたため、そこに更に税負担を増やすことはできない。
ということからどのようにこの国民健康保険内でどっと増えた高齢者の医療負担をカバーするのかということが「老人医療無料化」(老人医療支給制度)以来現在もずっと大きな課題となっています。
老人保健制度
昭和 48 年の「老人医療無料化」から10年経過した昭和58年に老人保健制度が制定されました。
この老人保険制度ではこれまでの高齢者の自己負担0から少しずつ自己負担を増やしていきました。そしてこの制度が廃止される直前には自己負担額が1割になっていました。とはいえ高齢者の医療費は制度全体のかなりの割合を占めるため、これだけでは国民健康保険の救済へはつながりませんでした。
そして国民健康保険を救済するもう1つの策として国民健康保険以外の加入者全体で国民健康保険を守っていくという措置がとられました。これが老人保健制度の大きな役割でした。
この老人保健制度では制度に加入している高齢者の医療費を各保険者が持ち寄る、いわば割り勘というかたちがとられました。この持ち寄るときの計算式は高齢者医療にかかった金額を各保険制度に所属している人の人数で割るというまさに割り勘方式が取られました。
老人保健制度は国民健康保険を救済するために制定された制度ですが、しだいに国民健康保険だけを救済するのは不平等なのではないか、高齢者の医療費を負担していると自分の保険料がいくらなのかがわからない、何のために保険料を払っているのかわからない。などの声が聞かれるようになってきました。
そこでもう少し透明性を高める目的で後期高齢者医療制度という新しい制度が制定されました。
後期高齢者医療制度の誕生
このようなかたちで別の制度としてつくられた後期高齢者医療制度ですが、当然のことながらこの制度の中だけでは医療費が高く加入している高齢者の保険料だけではお金がまかなえません。そこで公費で負担することになりましたがもちろん全額は負担できず5割にとどめられました。そして高齢者の保険料で対応できるのはせいぜい1割程度です。そこで残りの4割を各保険制度が援助するというかたちになりました。
これまでのようにかかった費用を割り勘で支援するのではなく各制度が援助するかたちにすることで保険料の内訳の透明性を目指しました。
ですが、各制度が持ち寄るという仕組みは全く変わっておらず負担が少なくなったわけではないということです。
前期高齢者と国民健康保険
国民健康保険の負担を軽減するために後期高齢者医療制度が制定されました。ですが65~74歳の前期高齢者とよばれる世代の多くは国民健康保険に加入しています。
75歳以上の人が別の制度に移ったため国民健康保険にかかる負担は若干軽減しましたが負担がなくなったとはいえず老人保健制度でとったようなみんなで割り勘で持ち寄るというかたちを残さざる負えませんでした。
これを財政調整といい医療費を調整するという仕組みをとっています。
上の図は少し昔の資料で前期高齢者の医療費の保険制度ごとの内訳になります。上の棒グラフのピンクの部分があります。このピンクの部分が国民健康保険が負担しなければならなかった部分です。これを各制度に同じくらい前期高齢者がいるとして割り勘して調整すると下の棒グラフのような負担額となります。
このように前期高齢者に関しては老人保健制度のときと同じように国民健康保険をみんなで救済するという仕組みが現在も残っています。
まとめ
国民健康保険制度の救済のために制定された後期高齢者医療制度ですが結局保険料の負担は他の保険制度に頼らなければならず、国民健康保険自体もやはり救済が必要な状態は変わっていません。
後期高齢者医療制度が制定されたことで結局ややこしい仕組みにしただけではないかということも言われています。
この後期高齢者医療制度を廃止するという公約を掲げて一時期民主党が政権を取りました。ですが結局この制度をなくすことはできず、徐々に文句を言う人も少なくなり現状もこの複雑な制度は続いています。
日本の医療制度の大きな特徴である制度分立ですが、ここから日本の医療保険の問題が全て発生しているといっても過言ではありません。
制度分立に関してはこちらをご参照ください。
参考資料
社会保障を問い直す/中央法規出版/2003.4.1/植村尚史著
コメント